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シャドウコストの問題 [教育情報化のための補論]

シャドウコスト(shadow cost)とは、特定のプロダクトや実践成果の創出にかかるコストとして、表面(帳簿)上は計上されないものを指します。

ごく簡単に示せば、[トータルコスト] = [表面的なコスト]+[シャドウコスト] の関係が成り立ちます。

シャドウコストの典型は、人件費としての計上を除外された労働時間(つまりサービス残業)、個人的な知識・技能、あるいは、業務外で個人的に消費される時間・機材・リソースなどです。これら表面的に見えないコストを一切無視すれば、見かけの対費用効果は大きくなります。しかし、同様の方法や機材を用いて同等のコストを費やしても、同じ効果が得られる確証はありません。

シャドウコストの問題とは、正確なコスト算定を阻害することにあります。モデルケースを一般適用するような場合、シャドウコスト要因を見落とすと、経費を過度に低く見積もってしまうため、運用段階で予算がショートして失敗しやすくなります。

たとえば、「モデル校で導入実績のある機器を一般校にも配備したが、扱いが難しすぎたり、準備に時間がかかりすぎるので、結局使われることなくガラクタと化した」といったことは、この業界では頻繁に起こります。 あるいは、「最初は完全なシステム一式をきちんとコスト算定して導入したはずだったのに、学校側が思うように使ってくれないので、あとからあとからオプションが必要になって、結局出費が予算の2倍3倍に膨らんでしまう」といったケースが該当します。いずれも、一定のプロダクトや成果を生むのに必要なトータルコストを見誤ることから生じる現象です。

シャドウコストのうち最も厄介な要因は、単価と比重が高い人件費です。コスト管理が徹底している企業なら起こりえない事ですが、残業代という概念がそもそも存在しない学校教育の業界では、実際の稼働時間がコストとして一切載らないので、後々面倒を引き起こします。

具体的に考えてみましょう。
ある1コマの授業を独自に組み立てるとして、公開授業研究会の準備に約半年(都合2時間×6ヶ月×20日=240時間×時給)、個人的な研鑽に要した自腹の研修+交通費、もろもろの資料費が実際にかかっているにも関わらず、実際に研究会の経費として計上できるのは副教材費の2万円のみだったとすると、1コマの授業は、表面上2万円のコストで作れてしまった計算になります(無茶な話ですが)。で、研究会で用いた指導案と2万円の副教材で、他人が同じ授業実践を実行できるかといえば、当然ながら、そんなことは端から不可能に決まっています。
業界の人間は、コストに現れないそれを努力や才能といったり、組織の研究能力といったりして、「やっぱモデル校は違うわ」と妙に納得するわけですが、役所でお財布を預かる財務担当者にしてみれば、投資効果の見えないバクチを打つようなものですから、「じゃあモデルを普及させるには、いったいどれだけコストをかけたらいいんだ?」と途方に暮れてしまうでしょう。予算の精度(予算消化状況や費用対効果、追加予算など)が悪いと、今度はマネジメントがなってないと非難されてしまいます。

とかく、この業界はコストに対する変な誤解と偏見があるように思うのですが、「節約しながら予算を有効活用する」ことは必要でも、「予算がないことを理由に、身銭を切ってでもがんばらせる」ような、一種の滅私奉公的やせ我慢思想は、組織運営上きわめて問題といわねばなりません。表面上の予算に現れないシャドウコスト要素が膨らみすぎると、結局、個人への依存度が大きくなり、身銭や努力を惜しまない特定の人しか使えなくなってしまいます。

あるプロダクトや実践成果を広く普及しようと考えたら、シャドウコスト要素を掘り起こしたうえで、トータルではどの程度コストがかかるのか、冷静に考えることが必要です。


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